生きる事

01.14

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 ニュースでは各地の大雪を伝えていますが、対馬もやっと冬らしくなりました。

と言っても、日本各地が大雪の時、対馬は季節風が吹き荒れ晴れている事がほとんどなのです。

今朝も空は晴れ渡り、北西の風が強く、水溜まりも凍っています。

年明けからシケ続きの対馬ですが昨年同様、ほぼ毎日師匠の秦洋丸に乗り込み、ブリの延縄漁を行っております。

今日は用事でお休みなのでブログを更新している次第です。

毎年の事ですが、お正月、消防出初式、恵比寿祭りなど漁の合間も慌ただしく過ごし、1月中旬になりようやく今年の事や、昨年の振り返りをしてしまいます。

 

今朝は少し寝坊して5時頃布団から出て昨年、過去の色々な資料の整理というか、片づけをしました。

テレビからは成人式を迎えた福島、浪江の若者達のニュースが流れていました。                その整理した資料の中に、数年前、約3年ほど執筆させて頂いた地方新聞のコラムが目に留まりました。

自分が書いた内容とはいえ読み返すと色々と考えさせられるものです。

 

 気づけば対馬に移住して、この春で16年目を迎えます。28歳だった青年はいつの間にか44歳の熟年になってしまいました。

いやはや、早いのかなんなのか。

テレビに映る浪江の若者たちを見て、「生きて行く事」について改めて考えてしまったので、

バブル全盛期、長崎の田舎少年が上京し、その後離島に移住し漁師の道を歩むきっかけとなった節目の一つを紹介します。

今だにですが、おかしな「日本語」が多いので少し訂正し、書き直して。

 

 23歳、勤めを辞め、C・Wニコル氏が創設した専門学校に入学した。普段は東京渋谷にある校舎で、フィールドワークおける分野だけではなく様々に学ぶが、初めての実習はニコル氏が暮らす長野県黒姫で行われた。

上野を発ち、黒姫駅に降り立つと目的の実習地まで、ザックにつまった20㌔程ある荷物を背負い1時間程徒歩で移動した。やっとの事で現地に着くと早速、寝袋、ヘッドランプ、鉈(刃物)、水筒だけを持つように言われ腕時計と引き換えに、ブルーシートと菓子パンを一つ、アメ玉を数個渡され、山奥、深い森の中へ連れて行かれた

まさに正真正銘の戸隠山中だ。

そして、「ここで一夜を過ごせ」と言われ、一人一人離れ離れに置きざりにされていく。移動は10メートル以内との指示。持たされた笛は緊急用で吹けば燐者へ順に伝わり、本部まで伝達される仕組みらしい。

生徒の中には女性も、都会育ちの高校や大学を卒業したての者、主婦、現在の私位の年齢の生徒もいた。

 そこは通常想像できるような森ではなく、とにかく圧倒的だった。そして日が暮れると完全な闇の世界に包まれた。基本ヘッドランプも使用禁止なのだ。

 テントも灯かりもなく、空腹の上に、5月の長野は冷え込んだ。そして闇夜の森の中はエタイの知れない「虫や獣達の活動」に支配された。暗闇の中で、目に見えないモノ達の声がどれほど不気味な事か。ゆっくりと夜は更けていく。私は寝袋に入り、さらにブルーシートも巻いて芋虫になり眠った。

かなりの生徒が一睡もできなかった事は想像がつくと思う。翌朝泣いていた者もいた。

その日から、野生生物についての学習や調査はもとより、生きている鶏をさばいたり、丸太を割り、マッチ3本以内で火をつける訓練など、「野外で生きる術」を学びながら、ティピーというインディアンテントで出会ってまだ1月足らずの仲間たちと1週間を過ごした。薪で火をおこし、巨大な釜で数十名分のご飯を炊き、汁を煮た。

 精神は研ぎ澄まされると同時に、だんだんとすさんでいった。しかし、凝縮され、共に刻んだ時は固い信頼関係を築き上げた。

 シャワーもなく、たき火の匂いが体中に染み込んでいった。

 

 

 

 水も光も熱も、スイッチ一つが当然の都市の生活がどれほどの「物」に囲まれ、見知らぬ人達に頼った日常なのか思い知らされた。

 家があり、毎日お風呂に入り、布団で眠れる事の幸せ。あたりまえの日常。あたりまえの明日、未来。

当然なのか。

 

 先生はまずそれを、頭や言葉ではなく、心と体で知ってほしかったのだと思う。

 

 

 

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